平成30年間の秋葉原の変遷を足早に振り返ると、家電不況とバブル崩壊が重なる不穏な情勢で幕開けたものの、暗雲を吹き飛ばす空前のパソコンブームが到来し、電気街ならぬ世界屈指の電脳街として名を馳せたのち、付随的にゲームショップ・アニメグッズ・同人アイテム・メイド喫茶・ライブアイドルといったサブカルチャー文化が花開き、やがて台頭し、量販店進出やオフィス林立なども並行して超多角化した発展を遂げながら、“オタクの聖地”という観光地としての側面も強く持ち始めた、といったところか。
今後は2020年の東京オリンピック開催も引き金となり、国内外から「観光地としての秋葉原」の注目度は一層高まると予想される。だが、中心街に飲食店やホテルが急増する一方で、路上混雑やマナー面の摩擦など、整備と対策に後れを取っているのも事実だ。
事業の垣根を越えた組織同士の横断型連携による街づくりが求められる中で、昨年7月2日(月)に誕生したのが「合同会社AKIBA観光協議会」である。
その目的や詳しい活動内容について、設立時から運営に携わる「株式会社Tokyo dub agent(トーキョー・ダブ・エージェント)」取締役の2人、同協議会の執行役員も兼任する加賀秀祐さんと、阿部裕貴さんに話を伺う機会を得た。
▲加賀さん(左)と阿部さん(右)は宮城県仙台市出身の30歳。両人とも『攻殻機動隊』シリーズの大ファン。
――― 本日はよろしくお願い致します。まずは、「AKIBA観光協議会」とはどのような組織なのかを教えていただけますでしょうか。
加賀さん:“地域文化を活用した観光地経営”を目的として、秋葉原の民間企業が出資をしあって設立した合同会社です。異なるジャンルの企業が相互協力することで新しい観光ビジネスを生み出し、街の活性化のための活動をしよう、という。
――― 秋葉原における観光振興の推進母体、という感じですかね。
加賀さん:そうですね。いろんな意見をまとめて、その発信と実践をする、地域関係者の“まとめ役”になれる団体を目指しています。
――― 街をひとつに。
加賀さん:2015年11月に観光庁が、経営的な視点に立った観光地域づくりを主導する法人「DMO(デスティネーション・マネージメント・オーガニゼーション)」の登録制度を導入したように、地元事業者が連携して、“稼ぐ力”を持った観光事業をするべきだ、という地方創生の取り組みが国内で広がっています。
秋葉原でも、それができないかなと。
――― 稼ぐ力、というと。
加賀さん:変な意味ではなくて、ちゃんと労働に見合った利益を出さなければ、せっかく構築したチームもシステムも継続性が保てません。
――― おっしゃる通りです。私見ですが、清貧思想を美化しすぎる日本全体の課題だとも思います。
加賀さん:その観光事業で得た恩恵を地元に還元する、稼いだお金が街を盛り上げるために使われる、という好循環を創出するのが目的です。
――― 現在、協力関係にある店舗数は。
加賀さん:約400店舗です。連携している店舗様には、情報発信のお手伝いや、イベントを開催する際にお声掛けさせて頂いております。
――― ウチの店も仲間に入れてよ!という場合、登録費用や審査などはあるのでしょうか。
加賀さん:いやいや、“ざっくりと秋葉原エリア内”にある店舗様であれば、特に何もありません。繋がりをどんどん増やしたいので、お気軽に問い合わせて頂ければと思います。
――― 加賀さんが設立者でもある「Tokyo dub agent」は、どんな事業を営まれている会社なのですか。
加賀さん:日本文化を世界に発信する、アーティストマネジメント事業を軸にしております。たとえば、水墨画や浮世絵といった伝統工芸と、アニメとのコラボレーションを企画して、完成した作品の発信や商品化をおこなったり。
――― なぜ、そうした事業を手掛けようと思われたのでしょう。
加賀さん:実は阿部とは幼馴染で、子供の頃から「将来一緒になにかやろうぜ!」と誓い合った仲でして。
――― あらやだ、素敵。
阿部さん:そうなんです。最初は漠然とした理想でしたが、年齢を重ねるごとに「俺たちは何のために生きるんだ、一生をかけて何をやるんだ!?」という問題を具体的に突き詰めていきまして、最終的に「やっぱり日本は最高だよね、もっと世界の人に知ってもらいたいね!」という結論になりました。
――― その想いが根底にある。
阿部さん:中でも、日本が誇る最強の文化として他国に絶対に負けないものは、ジャポニスム・アートとオタクカルチャーだろうと。さらに、この2つを組み合わせれば、間違いないはずだと。
――― 納得しました。社名の「dub」は、音楽用語の「dub(※レゲエから派生した、リミックスの元祖と言われる手法)」からきているのですね。
阿部さん:同時に、アーティストやクリエイターの方々に、新しいフィールドを提供して応援したいと考えました。どんなジャンルにも共通すると思いますが、創造的な仕事のマネタイズには、大変な苦労が伴いますから。
▲武人画アーティストのこうじょう雅之氏による、戦国武将・伊達政宗を描いた水墨画。
▲彫刻家の淺野健一氏による、可動式力士像『IKIGAMI(生神)』。
――― オタクカルチャーを取り扱うのであれば、秋葉原を拠点にするのも必然だった。
阿部さん:個人的に、もともと秋葉原の街自体にも憧れを抱いていました。昔から割とオタクで、高校時代は毎日欠かさず、桃井はるこさんの曲を聴きながら通学していましたし。
――― あの、“割とオタク”の域を超えているのでは。
阿部さん:会社設立の準備中に、いちど秋葉原で働いてみたいと思って、アルバイトをした期間もありました。
――― なんと。
阿部さん:PCゲーム・フィギュア・コスプレ衣装などを複合的に取り扱うお店に勤めたのですが、来店するお客さんたちに、なんだかこう、全然関わりがないはずなのに、不思議な仲間意識を感じたり。
――― 仲間意識。
阿部さん:それこそジャンク通り(※PC関連ショップなどが密集する裏通り)を歩いていると、すれ違う人がみんな、ただの赤の他人とは思えない。自分と何かしら、共通する好きなものがあるんだろうなという空気感、そんな“街と人の一体感”に触れて、より惹かれていきました。
――― 話が戻りますが、現在までの「AKIBA観光協議会」の具体的な活動実績は。
加賀さん:多岐に渡る中で、代表的なものは3つです。1つ目は、「AKIHABARA JAPAN」という多言語化対応したWebサイトの運営。秋葉原の店舗情報やイベント情報を、世界に向けて発信しています。
2つ目は、NPO法人「秋葉原観光推進協会」から委託されている、訪日外国人向けの「秋葉原観光情報センター」の運営です。
――― JR秋葉原駅の中央改札口を出てすぐの場所に、昨年10月17日(水)にグランドオープンしましたね。
加賀さん:「観光協議会」と名乗る以上、観光案内所の開設は必須だろうと。
――― 確かに。
加賀さん:設立の2年ほど前から水面下で場所を探していて、ようやく理想的な物件が見つかりました。東京オリンピック開催以降も見据えた、インバウンドユーザー対応の拠点と考えています。
――― 日本政府観光局(JNTO)の認定も受けているとか。
加賀さん:「株式会社インドア」が運営する催事スペース「THE AKIHABARA CONTAiNER」と併設しており、旬なコンテンツの物販をおこなうなど、実務的なインフォメーションセンターの役割にとどまらない、包括的な観光情報を得られるスポットにしました。
▲日英翻訳スタッフが常駐し、店舗案内や各種リーフレットの配布、ガイドツアーの受付サービスなどをおこなっている。
▲取材時に応対してくれたのは、オーストラリア人のリサさん。「日本のゲームがめっちゃ好き!秋葉原が大好き!」とのこと。
――― 建物側面に設置されている、横5.5m×縦3mの特大LEDビジョンも印象的です。
加賀さん:そちらは「株式会社ジェイ・ティ」が運営を。
――― 「AKIBA観光協議会」に参画する事業者が各々の得意分野で補強をしあう、まさに“相互協力”した施設になっていると。
加賀さん:LEDビジョンでは動画広告だけではなく、TVアニメや劇場版の先行情報など、ここでしか見られないエンタメ要素を含んだ内容を放映しています。
その名も「ミツバビジョン アキハバラ」。
――― ミツバビジョン?
加賀さん:秋葉原おもてなしキャラクター「秋津ミツバ」の名前を付けました。
――― 秋津ミツバ、とは。
加賀さん:2011年に「秋葉原観光推進協会」が作成したキャラクターをリニューアルして誕生した、「AKIBA観光協議会」のマスコット的存在です。路上喫煙禁止のPRやガイドマップなどに起用しており、VTuberとしても活動しています。
――― 阿部さん、ミツバちゃんの萌えポイントを。
阿部さん:隠れ巨乳です。
――― なるほど。
加賀さん:3つ目は、「秋フェス(秋葉原フェスティバル)」というイベントを主催しています。
――― 「秋フェス」とは、どのようなイベントなのですか。
加賀さん:毎回特定のコンテンツとコラボをして、様々なサービスを展開して、それをたくさんの店舗や場所に振り分けて実施する、という形式です。1ヶ所の会場に集まって、展示や物販をおこなうイベントではありません。
――― 図式としては、街ぐるみのでっかいキャンペーンみたいな。
加賀さん:今回4月3日(水)から始まった「秋フェス2019春」では、『バンドリ! ガールズバンドパーティ!』と『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』の2作品とのコラボをおこなっています。
対象の約100店舗でお買い物をすると限定カードがもらえたり、街じゅうに設置されたTシャツ自動販売機でオリジナルTシャツを販売したり、そのTシャツを着用して対象店舗に行くと特典が受けられたり。
――― つまり、“秋葉原の街そのものに集客を促す”のが狙いなのですね。
加賀さん:コンテンツのファンは楽しくて、かつ地元事業者にメリットがあって、街の来訪者も増加する。そんな、3者Win-Winになることを目的とした施策です。
▲期間中は「THE AKIHABARA CONTAiNER」がコラボショップとなり、秋フェス限定グッズを販売。
▲開催初日は平日にも関わらず、300人以上が行列を作る大盛況だった。
▲対象店舗でもらえる限定カードは全49種類。コンプリートを目指す猛者も多いとか。
――― 近いうちに、実現したい計画や構想はありますか。
加賀さん:個人的なアイディアの段階でも、よろしいでしょうか。
――― もちろんです。
加賀さん:「秋葉原にゴミ箱を設置したい」という、クラウドファンディングに挑戦したいと思っておりまして。
――― 出資を募る。
加賀さん:秋葉原にはドネルケバブやクレープといった、食べ歩きに最適なグルメを販売する飲食店がある一方で、特に外国人観光客の方から「街頭にゴミ箱が少ない」という声が数多く寄せられています。
――― 言われてみれば、全然無いですね。
加賀さん:そこで、デジタルサイネージ(※ディスプレイを用いた電子看板)を搭載したIoTゴミ箱を製作すれば、有用性が高いはずだと。
――― 駅構内の柱や自販機で見かけるアレの、ゴミ箱版を。
加賀さん:秋津ミツバが多言語で「ゴミ箱はココだよ♪」と案内したり、ゴミを入れると「ありがとう♪」と声をかけたり。
――― おおお。アキバっぽくて面白い!
加賀さん:広告媒体としても機能するので、「街の環境美化」と「観光地経営」が両立できないかな、と案を練っています。
――― 問題は、ゴミ箱1基の製作費がヤバそうな。だから、クラウドファンディングですか。
加賀さん:正直、我々だけでは不可能です。正式なプロジェクトとして始動した際には、ご支援を賜れれば幸いです。
――― では、阿部さん、ミツバちゃんの萌えポイントを。
阿部さん:隠れ巨乳です。
――― なるほど。
――― 最後にあらためて「AKIBA観光協議会」の目標、今後の抱負をお聞かせ下さい。
加賀さん:「秋葉原は文化と文化が融合して、新しい価値を作り出している、ひとつの実験的な場なのではないか」と考えています。ですので、先ほどは地域の“まとめ役”と表現しましたが、同時に「まとまらなくていい」と思っていて。多種多彩な事業者それぞれの個性が活きるように、我々が意見の調整を担いたいと。
――― “未来図を共有”する意味での、団結。
加賀さん:「街のためにどうすれば良いか」というフェアな議論ができるのは、「企業 対 企業」の力関係に左右されない、「協議会」でないと難しいとも思っています。
――― 同感です。
加賀さん:また、今まで秋葉原は他所の街との連携に積極的ではありませんでした。たとえば、万世橋からJR上野駅前まで中央通りを抑えて、でっかいイベントをやろうとか、はたまた浅草や銀座とコラボをしようとか。県外も含めて、“地域同士”の協働を実現するのが最終的なゴールです。
「AKIBA観光協議会」が「秋葉原の盛り上げ隊」として、地域を代表する窓口になれるよう尽力していきます。
「生まれたての座組みですので、色々と躓くこともあるかもしれません」と謙虚な姿勢も見せた2人だったが、街の未来のために意義ある1歩を踏み出した、彼らの熱量に敬意を表したい。
さらに本インタビューの締めくくりとして、「AKIBA観光協議会」代表CEOであり、「秋葉原観光推進協会」理事長の泉登美雄さんにも話を伺った。
▲泉さんは北海道室蘭市出身の64歳。特技はスキューバダイビング。趣味はお孫さんと遊ぶこと。
――― 泉さんは2009年からVISIT JAPAN大使(※観光庁から任命された、インバウンド施策の模範者)も務めていらっしゃいますが、秋葉原の観光事業に携わることになった経緯をうかがえますでしょうか。
泉さん:私は1978年にソニーグループの企業に入社して、成田空港の近辺で、外国人向けの家電製品を取り扱う免税店などを担当していました。それから1985年に海外仕様の商品を専門とするグループ子会社が立ち上がった際、秋葉原に転籍になったのです。
――― ひええっ、1985年は私が生まれた年です。
泉さん:初代ハンディカムが発売された年ですね。あの頃は8ミリビデオ方式で、手のひらサイズのテープをカチャッとはめ込んで。あとは、ガム型充電池のウォークマンが出始めた。
――― 当時の秋葉原は、どんな街だったのでしょう。
泉さん:まだ駅前に「神田青果市場(※1989年閉場)」の一部が残っていたり、「観光地」とは誰も認識していなかったと思います。
――― その後「Windows95」発売の影響もあり、PC関連ショップが“街の顔”となる時代を迎えるわけですが、観光面で変化が訪れた時期というのは。
泉さん:アキバ文化ブームが起きた2005年頃からです。ポップカルチャー目当ての来訪者が急増して、地元事業者たちの間でも「これからは観光だよね、何かやらなきゃね」と。
2003年に小泉純一郎元首相が「2010年までに外国人旅行客を1000万人にする」と宣言し、訪日促進活動に力を入れていた国の動きも重なって、秋葉原の観光地化を目指すプロジェクトが本格的に開始されました。そこで私がチームリーダーとして、秋葉原の魅力を紹介する各種事業に参加したのが、現在に繋がっています。
――― 2007年には「秋葉原観光推進協会」を設立されています。
泉さん:2009年にはソニーも退職して、秋葉原の観光振興活動に専念することにしました。
――― 30年以上、秋葉原の発展に貢献してきた泉さんが感じる、この街で観光事業をおこなう難しさとは。
泉さん:受け入れ態勢が、まだまだできていないことです。観光バスを停める駐車場すら皆無ですからね。
――― 「秋葉原クロスフィールド」にしても、「ヨドバシカメラ マルチメディアAkiba」にしても、大型バスには対応していません。
泉さん:寝耳に水と言いますか、あっという間に観光地になっちゃったので、再開発計画を立てた時点では全く想定していないわけです。東京都にも千代田区にも、秋葉原=観光という概念すらなかった。
――― 2~3年で急遽変更できるはずがない。
泉さん:ようやく、今からなんです。やっと観光地としての認知が広まってきたので、現状の諸課題に見て見ぬふりをせず、対策に取り組んでいきたいです。
――― 時代の流れと共に、劇的な変化を遂げ続けてきた秋葉原の街ですが、この先はどうなると予見されていますか。
泉さん:うーん、ぜんぜん分からないです。
――― えっ。
泉さん:あはは。
――― わはは。
泉さん:1990年代後半はソニーの「WEGA(ベガ)」というブラウン管テレビが、爆発的に売れていたんですよ。主要放送局の編集用モニターに採用されたり、巷で筐体を目にしない日は無かったほどなのに、10年後には跡形もない。
――― 未来は読めない。
泉さん:だから、「若い世代に興味のあるものが、秋葉原の中で広がりやすい環境をつくること」が大事だと考えています。秋葉原はコンテンツの制作地ではなく、エンドユーザーに拡散する場所ですから。そのためには、加賀さんや阿部さんのような若い世代のアイディアを優先的に実行していくこと。
――― 「AKIBA観光協議会」の方針としても。
泉さん:私は秋葉原が好きです。ひとつのことじゃない、いろんなものが並行して楽しめて、興味と目的を持つほどに深みが増す街。
同じように秋葉原のことが好きで、この街に集った人たちにとって、ビジネス面でも無限の可能性を感じる、夢を実現できる街であってほしいと願いながら、日々活動しています。
観光とは非日常への旅行であり、“光を観に”行く行為である。その光は歴史や景観、そして地域文化を尊重し、輝きを共有しようとする人々の想いが加わってこそ、七色に映えるのだ。
令和の新時代、筆者もこの街に魅せられた1人として、己にできることは何なのかも探しながら、秋葉原の眩い明日を信じたい。
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※本記事は、「合同会社AKIBA観光協議会」のスポンサード記事です。