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【特別記事】フリマガ編集長と秋葉原の街を語る
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【山形村山】創業100年超の老舗菓子店「松月堂布川」がアキバに見る夢と地方発信のかたち

   

2016年1月下旬、秋葉原のランドマーク的存在である商業ビル「秋葉原ラジオ会館」の1Fにあるギフトショップ「The AkiBa(ザ・アキバ)」にて、「秋葉原マドレーヌ」という土産菓子が販売開始された。

人気イラストレーターの和遥キナ氏が描き下ろした、メイド服姿の女の子がパッケージにデザインされた、同店1店舗のみの限定販売品。

“コテコテのアキバ土産やで!”といった趣のこの商品だが、聞けば製造を手掛けているのは、なんと、山形県村山市にある創業100年を超える老舗菓子店だという。しかも、それだけの老舗店にもかかわらず、県外に商品を卸すのはこれが初めてだというではないか。

筆者の父方の実家は山形市内にあり、祖母の出身地は村山市のお隣の尾花沢市だ。そんな個人的な事情も相まって、この製造元の老舗菓子店「松月堂布川」に、強く興味をひかれた。

店舗取材の機会が訪れたのは、今年7月中旬。山形駅からJR奥羽本線に揺られること約40分、いくぶん緊張しながら村山駅におりたつと、改札を出る際に「Suica使用圏外」という洗礼を受ける。

「スイカ(西瓜)の名産地なのに使えないのか・・・」なんて、自分以外には駅員さんしかいない構内でつぶやいたら、なんだかおかしくて、同時にのどかな田舎町の空気がすうっと身体になじんだ。

村山駅から徒歩10分ほどで、お店に到着。

のれんをくぐると、件の「秋葉原マドレーヌ」の企画者である、6代目の布川寛人さんが出迎えてくれた。

「松月堂布川」は、明治時代初期に落雁やタバコなどを扱う商店として創業。戦後間もない頃に4代目の孝太郎さんにより、和菓子やせんべいを扱う和菓子専門店となったそうだ。

現在は和菓子に加えて、パイやケーキなども扱う和洋菓子店として、5代目の淳一さんと共に、親子二代でお店を切り盛りしているという。

ショーケースには、山形県産の蕎麦粉を練り込んだ餡と、大納言小豆の羊羹を重ねて巻いた、村山銘菓「三平撰」をはじめ。

山形内陸部の特産品「秘伝豆(青大豆)」をすり潰した餡を挟んだ、どら焼き。

地元農家が生産した大粒のブルーベリーをふんだんにトッピングしたレアチーズケーキや、同じく地元の卵農場が生産したブランドたまご「紅輝卵」を材料に用いたプリン、といった、地産地消を推進する様々な手作り生菓子が並ぶ。

また焼き菓子も、ラ・フランス、さくらんぼ、いちご、りんご、いちじく、などなど県産の果物を使用した商品が豊富だ。

さらに夏季には、それらの果物を加工して作った自家製フルーツソースをかけた、カキ氷の販売もおこなっている。

テーブルと椅子を設置したイートインスペースが内接されており、子供からお年寄りまで、幅広い世代の地元住民に利用してもらっている、とのこと。なかには、4世代にわたってお店に通い続ける常連客もいるそうだ。

こぢんまりとして、こじゃれていて、アットホームな雰囲気で、「こんなお菓子屋さんが近所にあったらいいな」と思わせる素敵な空間に、すっかり虜になってしまった。

ただひとつ気になったのは、店内のどこにも、いわゆる“アキバ的”な装飾が見当たらなかったこと。みずから秋葉原に企画を持ち込むほどだから、アニメのポスターなり、ロボットフィギュアなりが、ずらっと飾られたサマを想像していた。“自身の趣味が高じて”、のパターンとは違うのだろうか。

なにやら異色の経歴を持つらしい寛人さんに、なぜ秋葉原でお菓子を販売しようと考えたのか、そして、6代目として老舗を支えてゆく想いなどについて話を伺った。

▲布川家の長男として生まれた寛人さんは、現在38歳。3人の子供たちを育てるパパでもある。

――― まずは、寛人さんがお店を継がれるまでの経緯について伺ってもよろしいでしょうか。なんでも以前、自衛隊にいらしたことがあったとか。

寛人さん:そうなんです。高校を卒業してから、陸上自衛隊で約4年間おせわになりまして。東根市に駐屯する「第6飛行隊」という、ヘリコプターの整備などを担う部隊に所属していました。

――― 自衛官になりたかった、と。

寛人さん:いや、単純に他に就職先が見つからなかったんですよ。「鉄砲を撃ってみたい!」なんていう、若気の至りもあって。

――― 退職されてからは。

寛人さん:IT企業に転職して、営業職についていました。もともと通っていた高校も、情報処理系の学校だったのです。

――― 家業を継ぐ、という選択肢は考えていなかったのですか。

寛人さん:当時は、全く頭にありませんでしたね。父親(5代目の淳一さん)にも前々から、「こんな田舎町の小さな店は自分の代でたたむから、好きにしろ」と言われていまして。

――― では、どういったキッカケで。

寛人さん:母親が体調を崩した際に、「一度しばらく帰ってきてほしい」と頼まれたのです。その時が24歳くらいだったかな、すでに私は結婚していて、妻のお腹に子供がいたんですね。

村山は自分が生まれ育った場所なので勝手を知っていますし、子育てがしやすい環境が整っていましたから、最初は実家の“環境”が目当てで戻ってきました。

――― お子さんのために。

寛人さん:もしこのまま家業を継げば、数年先に子供が学校から家に帰ってきた時に、“常に家に、親か祖父母がいる”という安全な状況がつくれると思いまして。

――― なるほど。

寛人さん:それからIT企業を退職して、県内屈指のフランス洋菓子店だと評判だった「ミッシェル(※2007年閉店)」で、1年半ほど修業をさせてもらいました。朝8時から夜中の2時まで、毎日18時間ほど働いていたと思います。

――― 過酷な修業時代ですね。

寛人さん:ただ、お菓子づくりに没頭しつつも、なにかモヤモヤしたものを、ずっと胸の内に感じていました。子供のために自分の道を決めたけれども、「このままでいいのかな」と。

――― なぜ、秋葉原でお菓子を販売しようと思い至ったのでしょう。

寛人さん:村山では2012年から年に数回、市内の総合文化複合施設「甑葉プラザ」で、コスプレイベントが開催されています。施設を貸し切って、100人以上の参加者が訪れて、撮影会をおこなうのです。

――― 寛人さんも、コスプレイヤーかカメラマンとして参加されているのですか。

寛人さん:いえ、私はお菓子の販売で。

――― 会場内で出店を。

寛人さん:私自身はアニメも漫画も、サブカルチャー全般が好きですし、仕込み中にBGMがわりに『ダイヤのA』を見たりもしますが、グッズを買い漁ったりとか、自分から何かをつきつめてやる、というほどではありません。ただ、気が付けば周囲の友人はオタクだらけでした。

――― 気が付けば、ですか。

寛人さん:村山も秋葉原と似ているところがあって、山形県のなかではマニアックなディープスポットなのです。鎌倉時代から400年ほど、楯岡城の城下町として栄えた歴史があるからか、お坊ちゃん、お嬢さんが多いのか、昔からサブカルチャーが盛んな街でして。

――― 初耳です。

寛人さん:たとえば「股旅舞踊」という、古風な伝統芸能が残っています。

――― その舞踊は、どのような。

寛人さん:白塗りの化粧をして、腰に長ドスをさして、三度笠を手に踊るのです。歌にあわせて、流れ者の侠客が旅をする物語を演じていて・・・、うーん、言ってしまえば、昔のコスプレなのでしょうね。根本的な起源は、人々の変身願望なのだと思います。

――― 歴史的な下地があったと。

寛人さん:そんな中で私は、演じ手のほうではなく、そこに集う人たちや、ボランティアスタッフとして携わる人たちを、つまりコンテンツを受信する側の人たちを応援したいと思ったのです。

――― 応援団の人たちを、応援したい。

寛人さん:はい。“好きだから”という純粋な気持ちで集う人たちに対して、こちらも嘘のない商品を提供したい、という想いを持ちました。たぶん、最初の動機はそこにあります。

――― 実際に、秋葉原に足を運ばれた時期というのは。

寛人さん:浅草の浅草寺に、村山市が製作した「大わらじ」を奉納している関係で、毎年境内で、村山市の観光物産展を開催しているんです。ウチも毎年参加しているのですが、3年前の開催日の前日、たまたま全体の準備が早く終わりまして。

――― 2015年11月ですね。

寛人さん:余った時間で、今までTVやインターネットでしか見たことのなかった、「秋葉原に行ってみよう!」と思い立ったのです。

でもね、浅草からなんの電車に乗ればいいのかとか、全然分からないわけですよ。オレンジ色のラインの地下鉄に乗って、“JR秋葉原駅じゃない駅”の出口から地上に出てしまって。

――― 銀座線の末広町駅、かな。

寛人さん:それだ、多分それです。方向もちんぷんかんぷんで、3時間ほど、ただひたすら歩き回ってから、最後に「秋葉原ラジオセンター」に迷い込んだのです。

――― 寛人さんの経歴をお聞きする限り、見どころが満載だったのでは。

寛人さん:まさしく。15年前なら、歓喜して踊っているレベルでした。「うわーすごいな、これぞアキバって感じだ。真空管とかたくさん売っている!」と、興奮しながら見て回って。

――― ふふ。

寛人さん:そんな感じで、ひとまわりして通路を抜けた瞬間、目の前にドーン!と、「秋葉原ラジオ会館」があらわれたんですよ。

――― 位置を特定しました。場面が想像できます。

寛人さん:その時、建物の正面に掲げられている一番大きな広告が、声優の水樹奈々さんの広告だったのです。

――― 水樹奈々さんの。

寛人さん:そう、水樹奈々さんがドーン!

――― 水樹奈々さんがドーン!

寛人さん:私の友人には、奈々クラ(※水樹奈々さんのファンの通称)が沢山おりまして。水樹奈々さんを見た瞬間、まさに雷光一閃、身体に電撃が走りました。

――― プラズマザンバーブレイカーが、直撃したと。

寛人さん:これはもう、なにかの啓示だろうと。そして、「ここでお菓子を販売したい!」という猛烈な衝動が湧き起こりました。

村山に帰ってきてから、「The AkiBa(ザ・アキバ)」さんに商品を置かせてもらえないか、ダメもとでお菓子のサンプルを送ってみたのです。

――― 情熱が伝わったのでしょうね。

寛人さん:OKの返事をいただいたときは、夢のようでした。「秋葉原マドレーヌ」と「焼きチョコ」の数ヶ月後に、“シュタゲ”とのコラボ商品まで販売させてもらえることになりまして。

▲同年5月に発売された、『STEINS;GATE 0(シュタインズ・ゲート ゼロ)』とのコラボ商品「チョコとくるみのマフィン」

▲寛人さんのスペシャリテ「焼きチョコ」も、オリジナルパッケージを用いた新装版で販売された。

――― オタクカルチャーはだいぶ一般化されてきたとは思いますが、まだまだ、特にシニア世代の理解を得られないことは多いと思います。歴史ある老舗菓子店が、お店の看板を背負って、萌え系のパッケージで商品を販売することに、周囲の反対や戸惑いはありませんでしたか。

寛人さん:もちろん、ありました。「松月堂布川」の名前を汚すようなことをするなと、5代目をはじめ、色々な人から怒られました。

――― 積み上げてきたブランドがあると。

寛人さん:ですが、歴史が古いというだけの、先細りしていくのが確実な店で、なにもチャレンジせずにただ沈んでゆくのか、なにかにチャレンジした結果失敗して転がり落ちるのか、であれば、私は挑戦したかったのです。誰になんと言われようとも。

――― 発売から約1年半が経過しましたが、現在ではどうですか。

寛人さん:もうみんな、全面協力してくれています。5代目も企画を伝えた当初は「秋葉原だぁ?」と、完成したパッケージを見せたら「はぁぁぁん!?」と、苦い顔をしていたのが、いまではニコニコの笑顔で「もっと商品開発しよう!」と。

――― 逆に、お客さんの側からは、どういった反応がありましたか。

寛人さん:県内の他市からサブカルチャーが好きな方が通ってくれるようになったり、秋葉原で購入した方が出張で山形を訪れた際に、わざわざ立ち寄ってくれたこともありました。ちなみに取引銀行からは、商品力が格段に上がった、との評価をいただいて。

――― おお。

寛人さん:なによりも私自身は、インターネット上も含めて、たくさんの方々との繋がりを持てるようになった、ということが一番嬉しいです。今日のように秋山さんと直接お話しをする時間も、秋葉原での商品の販売がなければ、無かったことだと思うので。

――― 私の父方の実家は、山形市七日町にあります。自分で言うのもなんですが、いわば“山形の渋谷”といった、県内きっての繁華街エリアのはずです。

寛人さん:すごい。七日町だなんて、大都会じゃないですか。

――― んだべ!?

寛人さん:んだんだ!

――― だったはずですが、最近では夜8時を過ぎると、中心部でも人通り自体がほとんどありません。マクドナルドは撤退、ミスタードーナツも撤退。私が10代の頃には、オシャレなセレクトショップも点在していたのに、軒並み潰れてしまって。

寛人さん:実は私も1年ほど前に、七日町周辺に足を運んでいるのですが、「あれれ、こんなに何もなかったっけ!?」という印象でした。

――― 毎年帰省するたびに、商店街の寂しさは増すばかりです。近年の村山市の状況はいかがでしょうか。

寛人さん:同様に、よくないですね。商店街を解体した地域もありますし、店舗数は10年前の半分以下まで激減しています。土日祝の休日などは、村山駅からウチの店までの約500m間で、営業している店舗が1店舗しかありません。

――― たしかに行きの道中、数年間はシャッターが閉まったままであろう、という建物を数多く目にしました。

寛人さん:そうでしょう。

▲山形市七日町の街並み。大通り沿いでさえ、空きテナントが目立つ。

▲“山形の渋谷パルコ”的な存在だった、七日町を象徴するファッションビル「セブンプラザ」は、今年末に取り壊しが決定。

▲「松月堂布川」の店舗周辺の様子。

寛人さん:お話ししたとおり、家業を継いだばかりの頃は、子供のためにお店をやろうと思っていて、自分が特別になにか、地域のために活動しなければ、という感情は持ち合わせていませんでした。

ですが今は、秋葉原での商品の販売のおかげで、この仕事よりも楽しい仕事はないだろうな、と思えるほどにモチベーションが高まっています。やがて「松月堂布川」を、村山のランドマーク的な存在にできればいいな、という目標を持ちました。

――― 村山の魅力を発信する場所に。

寛人さん:山形の人たちは県民性なのか、宣伝が上手くないというか、生真面目で口下手なところがあるのです。そのぶん、果物であったり、蕎麦であったり、お米やラーメンであったり、全国に誇れるおいしい食べ物を、一生懸命つくっていると自負しています。

それを知ってもらえるような、たのしい、おもしろい、おかしい、場所にしたいですね。

――― 素敵な目標だと思います。

寛人さん:あ、“おかしい”と“お菓子”をかけています。

▲ダジャレのあとに、恥ずかしそうに「すみません」と一言。

寛人さん:あとは、遠い先の話ですが、いつか秋葉原にお店を出せたらいいなって。

――― 支店を。

寛人さん:秋葉原ラジオセンターに迷い込んだ時に、店主のおじいちゃんが、しわくちゃの手で、手描きのポップを作成しているのを目にしました。そこに常連らしきお客さんが来て、「これをください」「なにに使うの?」「今度こういうのを作るんですよ!」「すごいね、できあがったら見せてよ」、なんていうやり取りを聞きました。

値段だけで比べて、クリックひとつで決める世界ではなく、“販売している人間に対する信用にもとづいた売買”が成り立っていた。今の世の中の商売に足りていないものが、全部そこにあった気がしたのです。

――― 情報化社会の現代、地域内のつながりが希薄になっている中で、秋葉原はニッチなものが集まっているぶん、人のつながりも濃く残っている気がします。

寛人さん:いやらしくない、というか。消費者のほうから自発的に、商品価値に見合った価格を払いたくなるモノが多い。そんな秋葉原の街で働く人たち、住まう人たち、通う人たちにむけた、お菓子を提供できるお店を持ちたいという夢があります。

――― カルチャーではなく、“人”に視点を据えた。

寛人さん:皆様にもっとたくさんの味を届けられるように、これからも努力していきたいと思います。

筆者は、伝統とは、形をかえながら継がれていくものだと考えている。工芸しかり、芸能しかり、表面上は分からなくとも、昔のそのまんまではなく、時代と共に少しずつ変化が加えられている。それは大枠で見れば、民衆の文化や生活の変化に伴うものであるが、本質的には、作り手側の思考の変化に伴うものではなかろうか。

「松月堂布川」が新たに踏み出した一歩は、人によってはあさっての方向に見えるかもしれないけれども、確実に前へと踏み出した一歩であることは間違いない。老舗の歴史という重責を背負っての歩みは、荷物が重いぶんだけ、足もとの土をしっかりと踏み固めながら、未来への道を切りひらくはずだ。

その道が秋葉原へと通ずることを願って、本記事を声援のかわりとしたい。

【店舗情報】

松月堂布川
■住所:山形県村山市楯岡十日町4-34
■公式Twitter:https://twitter.com/nunokawaokashi
■公式Facebook:https://www.facebook.com/nunokawaweb/

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